デザイナーになったきっかけを思い出す話
「いつからデザイナーになりたいと思ってたの?」
そんな風に何度か聞かれたことがあります。
その質問の答えは多分、中学生の頃からだと思います。
一番最初のきっかけ
私が中学生の頃(2005年〜くらい)は、個人のホームページを作るのが流行っていた気がします。
懐かしいキーワードとしては、ふみコミュ、アイフレ、クリッカブルマップ*1とか。
(めちゃめちゃ懐かしい...)
ふみコミュで検索してみたら、今でもあった。けどあの頃とは全然違う雰囲気で、HP制作のことなんてもうありませんでした。
中学生の頃にHP制作と出会って、ひたすら作って、画像加工も必死に覚えて、バナーとか窓画*2とかロゴを作っていました。
もちろんphotoshopなんか持っているわけないので、PictBearという無料のソフトを使っていました。現在photoshopを使っていても、あの頃に学んだことはかなり生きてます。レイヤーとかの基本概念は同じだったので。
ぜっっったいに見たくない黒歴史の日記とかもありますが、あの頃にホームページを作っていなければ、現在の職業になることはなかったと思います。
夕飯を食べ終わったら夜中までずーっとパソコンにかじりついていても、両親は怒らずにいてくれました。本当にずっとパソコンにかじりついていて、気づいたら外が明るい というのもよくありました。
他人に評価されること
あの頃はただ好きで、面白くて、そして「唯一誰かに褒められること」だったからあんなに必死になれたんだと思います。
中学生の頃の私は顔が可愛いわけでもなく、運動が飛び抜けてできるわけでもなく、頭がとびきり良いわけでもなく、絵がすごく上手いわけでもない。
目立つところがない子どもでした。
周りの友達は可愛いし、運動ができる子もいる。その子たちに対して、心の底では劣等感を抱いていたと思います。
そんな時に出会ったのが「デザイン」でした。
自分が作ったものを、誰かが「素敵だね」と褒めてくれる。
ホームページを作って、ランキングサイトに登録して宣伝したりして、少しずつネットでの輪が広がって。掲示板で「バナー作ります」と書き込めば、お願いされて、評価される。
そこで初めて「他人から評価されること」の良い面を味わったんだと思います。
(悪い面ももちろん味わいましたが...)
絵が特別上手なわけではないけれど、デザイン=何かを作ることはできる。そう実感して、自分が好きなものを作る人になりたいと自然と思っていった気がします。
その後から現在に至るまで
デザイナーという職業があると気づいたのは高校生になってからで、それまでは深く考えていませんでした。というか、その後も深く考えず大学のデザイン科に進学し、そのまま制作会社に入社しました。
そして会社を辞めて、深く考えずフリーになって今です。
好きなものを作る人にはなれたかなあと思います。そうでない時もありますが、良い感じだと思います。
「いつからなりたいと思っていたか?」という質問で、結構深く思い出すことができて良い機会になりました。
あの時代に個人ホームページを作っていた方と「懐かしい〜」と言い合いたいです。
それと、他の人のこういう話も読みたいなあ。
あと、お仕事くださいー!(大声)
ゆるく可愛いやつ、シンプルなやつが得意です。
おしまい。
転勤族じゃなくなる
題名通り、転勤族ではなくなりました。
結婚して自分が会社をやめて旦那の転勤についていったり行かなかったり。そして結局、旦那も転職して転勤族ではなくなる...という感じになりました。
引っ越しを考えなくてよくなったのが、一番の解放ポイントです。
今までは何を買うにしても「引っ越しの時に荷物になるなあ」と考えてしまい、購買意欲が下がっていました。
転勤族でなくなった今はもう、棚も大きい冷蔵庫もベッドも服も本もなんでも買える!家に置いていい!素晴らしい!
そんなハイな状態です。
最近の仕事は、こたつで夢みる巾着というのを作ったり、ロゴ作ったり、webやLPを作ったりしています。
これはほぼ趣味で作りました。
自分が欲しいものを〜と思ったらこれになりました。私の家にはこたつがないんですが(一昨年の冬まであったんですが、こたつから動かなくなるので廃止) 、やっぱり欲しいんですかね。潜在意識?
東北は寒くなってきて、朝の空気が澄んできた気がします。
あったかい飲み物が欠かせません。
コスパの良い紅茶があったら教えてください。
GW前半
4/28・29は荒吐。
両日天気もサイコーで暑くて、ビールが最強においしく感じた。会場までは車で行ったので、飲むのは1日目と2日目に運転担当を分けた。わたしは1日目担当。2日目はビールを飲んでゆっくり音楽を聞いたり、もみくちゃになったり楽しんだ。
わたし自身は5度目の参加になるのでだんだん慣れてきて、体力の配分が楽になってきた気がする。けど、1回目より体力が減りすぎてて驚く。
春の野外は夜が寒くてしんどいけど、やっぱり来年も行きたいな〜と思う。
GWは東北から出たいよね〜と旦那(そういえば結婚しました)と話していたけど、結局出ないままになりそう。
先日、山形の加茂水族館に行きました。dp2Quattroを持って。
水族館は暗くて魚たちの動きは素早いので、なんとなく出番はどうだろうと思いつつ持っていきました。水族館には大きい望遠レンズをつけたカメラおじさまが結構いて、それの付き添いらしき奥さまがあきれた顔をしていました。
(そのおじさまはスマホのライトをつけて動物に向けてチラチラして注意を引こうとしていました。基本フラッシュ禁止なので、そのライト大丈夫・・・?と思ってしまいました。)
カメさんがいたところは結構明るかったので、撮りました。
素早かった。こっちに向かってきてびっくりした。
水族館近くの灯台?が白くてかわいかったです。
人いた。
お休みになるとやっぱり写真が撮りたくなる。
でもGW後半は部屋の整理かな・・・。
なりきれないダメージ
文字のみでやりとりをするのがどうも苦手。
あまりそう意識したことはなかったが、社会人になり、メールでやりとりをするようになって「あれ、苦手かもしれない」と思い始めた。
会社に所属している間は「会社の人間」らしい自分が打ちそうな文章のメールを送っていたから、少しきつい言葉が送られてきても、その「会社の人間」になりきっている自分が多少ダメージを受ける程度で、本来の心はあまり傷ついていなかったと思う。
フリーとして活動するうちに、(相手に悪意は無いと思うけど)きつく言われているように感じてしまったり、投げやりな言い方に思えてしまったりすることが増えた。
そういうときは心を無にして頑張れたらいいんだけどそうもいかない。
届いてすぐメールを開封→ダメージを受ける→一旦閉じて、しばらく置く。こんなサイクルを挟まないとしんどい。弱ってるのか。
直接打ち合わせをするのが一番いいなと思うけど、物理的に離れた距離のクライアントとはどうしてもメールになってしまう。電話で話をしても、文字にして共通認識にするとなるとメールは必須。仕方ない。
ルンルンで読み上げてくれるソフトとかないかな。
苦手だからこそ、相手に送るメールは送信ボタンを押すまでに何度も確認してしまう。でも打ち間違いとかしてしまう。
数をこなせば、慣れるのかな。
過去ノフの見た、5人でのラスト。
ももいろクローバーZのももか(有安杏果・緑)が卒業しましたね。
それについて、ただ書きたいので書きます。
私は「過去ノフ」です。
「ノフ(モノノフ)」とは、ももクロファンのことです。
私は現在、新譜を買ったりライブに参戦したりはしていません。過去の曲はよく聴いています、5TH DIMENSIONまでで止まってる。大学生の時は友達と一緒に日産スタジアムまで遠征したり、ココナツの衣装作ってライブに着ていったり、手紙貰いに授業抜け出したり。
今でももちろん大好きですが、現在はノフ活動していないので「過去ノフ」。
推しはあーりん(ピンク)です。
1/21の5人ラストライブは参戦できませんでしたが、Abemaの生放送で見ていました。
長らくライブを見ていなかったので、現在はどうか分かりません。ですが、ラストライブを見ていて思ったことは、とても「仕事」らしかったということです。
良い意味でもありますが、どちらかというとそっけないというか、淡々とこなしていくような感じがしました。メンバーにとってはそう思わないとやってられない、泣いてしまう、と私は思いたいです。ふと冷静に今日でももかが終わりだと考えてしまうと、寂しくて泣いてしまうのでは、と。ただのファンとしての希望ですが。
彼氏(ノフではない)と一緒に見ていたのですが、同じことを思ったそうです。
メンバーひとりひとりからももかへのメッセージの中で、一番記憶に残ったのが「叶わない夢もあるんだなあって」というかなこ(赤)の言葉。
今年で10周年となるももクロ。
それを5人で迎えるという夢が、叶わなかった。
「迎えられると思っちゃってる自分がいて」ともかなこは言っていたけど、ノフも皆そう思っていたんじゃないかなって思う。私もそう思っていたし、誰かが抜ける時は解散なんじゃないかと思っていた。正直、5人じゃなくなる姿を想像したこともなかった。
「普通の女の子の生活を送りたい」というももかに、「お互い、一人の女の子として輝いていられるように頑張ろうね」と言葉を送ったあーりん。
あーりんはももクロ・アイドルとして、ももかは「普通の女の子」として。進む道は本当に違う道だけど、お互いのこれからを応援する素敵な言葉だと思った。
アイドルとして「普通の女の子」ではないとメンバーは心の底では分かっている気がする。けど、辞めたいというメンバーに「普通の女の子になりたい」と言われれば、自分だってそうだよと思ってしまうのではないか。20歳を超えれば、友人のひとりやふたり、結婚した子も出てくるだろう。そういった年代らしい話題で盛り上がれなかった時、アイドルとしてではない、一人の女の子としての人生はどうなるんだろうと、ふと不安になったりするのではないか。
それぞれ自分の人生だから、色々難しいこともあるけど、そんな簡単にはいかないのだろうけど、自分のしたいようにするのが一番だと思う。
今回のライブの最後は、4人での「あの空へ向かって」。
いつの時も始まりはこの曲だった、とかなこ。私はボロ泣きしながら見てました。
というか、最初からボロ泣きしっぱなし。会場のサイリウムが緑ばっかりで泣き。Z伝説から始まり泣き。未来へススメ!でボロ泣き。ずっと泣き。
5人でのラストは、4人での始まり。
そういえば、松崎しげるさんがいつものように愛のメモリーを歌いながら登場して、10周年ライブの会場を発表。ももクロのライブで生で見たことあるけど、本当に黒かった。
泣きっぱなしだったけど、ちょっと笑えちゃいました。
有安杏果さん、8年間お疲れさまでした。
小さな巨人という言葉にぴったりなパフォーマンス、とても好きでした。最後のライブも、歌もダンスもかっこよかったです。ちょっと滑舌が悪くて、うどんにビックリしたりするところも可愛かったです。これからは写真もたくさん撮ったりして、ゆっくり「普通の女の子」を楽しんで欲しいです。フィルム写真も撮ってみてね。
もちろん、4人になった新体制のももクロも、楽しみです。
ダーっと書きましたが、何が書きたいかよく分からなくなってきたのでおしまい。
ライブDVDを見直そう。